千葉氏の居城が千葉亥鼻城から本佐倉に移った後、天正18年(1590)に豊臣秀吉によって小田原北条氏とともに滅ぼされるまでの100年余、本佐倉城は常に下総の政治・経済・文化の中心地、特に下総北部統治の本拠地としての歴史を刻んできた。
徳川家康が関東に入国してその家臣が本佐倉に入ったが、陣を構えたのは本佐倉城ではなく近くの大堀の地だった。その為、本佐倉城は使われることなく、それ以降深い眠りにつくことになった。
佐倉市と酒々井町にまたがる本佐倉城跡は、約35万平方メートルに及ぶ中世城郭跡として規模が大きく、また土塁や空堀等の形状が中世城郭の特徴をよく現しており、且つ、保存状態が良好なこともあって、平成10年9月11日、千葉県では最初の中世城郭跡として国史跡になった。
約400年間の深い眠りから覚めた本佐倉城跡は、現在、貴重な文化遺産として、その保存や活用に自治体と市民・町民が一体になって取り組んでいる。