佐倉城下町の公開文化財施設

  1. 旧堀田邸
  2. 佐倉武家屋敷 《佐倉城下の武家屋敷の解説はこちら》
  3. 佐倉順天堂記念館

 

■ 旧大名家の純和風木造住宅 旧堀田邸へ

  1. 江戸時代最後の佐倉藩主堀田正倫は、明治4年の廃藩置県に伴い、それまでの佐倉藩知事を免職されて、東京深川の屋敷で東京貴族の華族としての生活を送っていた。
  2. 明治17年の華族令で伯爵に叙せられた後、明治20年の宮内大臣布達で、在京華族に地方居住が認められたのを機会に佐倉居住を決意して、23年に別邸を建築して佐倉居住を始めたのが現在の旧堀田邸である。
  3. 旧堀田邸が建築された明治20年代の日本の建築技術は、江戸時代からの伝統技術に洋風技術が新たに導入され、近代化への過渡期に当たる時代であった。
  4. この旧堀田邸は、材料や工法の一部に近代化の要素を取り入れつつ、伝統的な技術を基本にした、旧大名家の邸宅建築として貴重な遺構となっている。

■ 往時の風情が漂う 佐倉武家屋敷へ

  1. 佐倉の武家屋敷は、明治維新になって廃藩置県、城郭の撤去、旧陸軍の駐留による軍人住宅への再利用等、激動の時代を経た。その後も、居住者の世代交代や建物の老朽化で、次第に住宅の解体や改造が進行した。
  2. しかし、昭和58年に武家住宅の全面的な調査が施行され、佐倉の旧武家屋敷も新たな時代を迎えることになった。
  3. 昭和60年に県指定文化財になった旧河原家住宅、平成6年に佐倉市の指定文化財になった旧但馬家住宅、それに文化財には未指定の武居家住宅の3棟が、屋敷の景観も含めてそれぞれに復元されて公開展示されている。公開されている場所は、往時には武家屋敷通りを形成していた鏑木小路である。

 

■ 蘭医学が花開いた 佐倉順天堂記念館へ

  1. 佐倉順天堂は、長崎に遊学後江戸に蘭医塾を開いていた佐藤泰然が、天保14年(1843)、時の佐倉藩主堀田正睦に招かれ、現在の順天堂大学の前身となった蘭医学塾「順天堂」を、佐倉に開いたのが始まりである。
  2. 佐倉順天堂の特徴は、オランダ医学の講義と実地医療が合わせて行われ、特に、優れた外科手術は当時の最先端をいくものだったといわれている。
  3. 当初開設したのは旧城下町東端に近い本町の通り北側であったが、安政6年(1859)に現在記念館がある南側の地に移っている。その敷地は、間口22間、奥行50間の約1100坪の広さで、病院棟始め多くの建物があった。

新型コロナウイルス蔓延に伴い、妊産婦の方々が必要とされる品物についての橋渡し事業を始めます。

詳細は こちら へ !!

 

続日本百名城に選定の

♧本佐倉城《中世城郭》跡

 歴史ガイド 

 □ 7名以上の団体

 □ 出発は大佐倉駅前

  又は、本佐倉城跡駐車場

 □ コース・時間は調整可

  ◆将門山の史跡巡りと

   のアレンジも可能

∮ 大佐倉散策マップ
大佐倉マップ .pdf
PDFファイル 775.2 KB

 Ж 城郭ガイド以外の、佐倉

  城下町全般の歴史ガイド

  についてはこちらへ