佐倉武家屋敷

武家屋敷が展示されている鏑木小路
武家屋敷が展示されている鏑木小路

 佐倉藩は譜代大名の居城と位置づけられ次々と藩主の交代が繰り返されたが、1746年(延享3年)以降幕末までの約120年間は、11万石堀田家が6代に渡って佐倉藩主を務めた。

 現在佐倉市では、市立体育館南側の宮小路の地・通称鏑木小路の通りに沿って三棟の武家屋敷が展示、公開されている。これら三棟の武家屋敷は、それぞれの建物の建築年代が約50年ほどづつずれている事や、佐倉藩の制定した住宅規制の枠組みに合致した三棟になっており、江戸時代後期の堀田家が藩主時代の佐倉藩武士の住環境を知る上で、極めて都合よく復元・公開されている。

 《佐倉城下の武家屋敷全体の解説はこちら》


武家屋敷の再生と一般公開の経緯

 江戸時代の城は、扇形に弧を描く高い石垣とその上に聳える白亜の天守閣、そして城下町というと白壁の武家屋敷が続く通り、格子戸の商家などといったイメージが浮かぶが、現在の佐倉にはそうした城の姿や城下町をイメージできるようなものは残されていない。時代の流れとともに武家屋敷が並んでいたところにも住宅が建ち、商人町は新しい商業地区に変わってしまった。

 佐倉市は1981年(昭和56)に「佐倉の武家屋敷調査」を行い、「明治維新前後を含む25棟の武家屋敷発見」という大きな成果を得た。 そして現在三棟の武家屋敷を復元して公開しいるが、その経緯は概略次の通りである。

 尚、旧河原家及び旧武居家は移築復元であるが、旧但馬家は当初よりその敷地に存在していた建物を解体調査後復元したものである。

昭和56年 1981 佐倉市の武家屋敷の実態調査実施
   58年10月 1983 城下町シンポジューム開催
   60年 1985 河原家が千葉県指定文化財になる。
平成1年 1989 但馬家が佐倉市指定文化財になる。
   1年3月 〃  河原家住宅解体調査 及び 復元工事開始
   2年6月30日 1990 「旧河原家住宅」 一般公開開始
   2年12月 但馬家住宅解体調査 及び 復元工事開始
   4年5月1日 1992 「旧但馬家住宅」一般公開開始
   9年1月 1997 旧但馬家が千葉県建築文化奨励賞受賞
   9年7月19日 〃  「旧武居家住宅」移築復元工事完了・一般公開開始
 

佐倉武家屋敷の特徴

旧但馬家の前庭
旧但馬家の前庭
  1. 武家屋敷町全体の配置

尾余と呼ばれる舌状台地上に展開しており、街道沿いにある町屋の通りから別れた道路を辿って到達する。その道路の先端には崖地を下る細い坂道はあるが、袋小路状態になっている。全体的には個々の武家屋敷エリアは周囲を崖地の樹林で囲まれた静かな住宅地を形成している。

 

  2.個々の屋敷の造り方 

中級武士の屋敷では、 500坪前後の敷地の道路側に生け垣を造り、主家の前後にかなり広い庭や菜園がある。建物は萱葺の平屋建てで規模はそれほど大きくはない。

 

  3.現在一般公開されているのは、「旧河原家」、「旧但馬家」、「旧武居家」である

    が、建築年代や藩士の俸禄によって相違がある佐倉武家屋敷にあって、その特 

    徴を考慮した一般公開になっている。

 

公開佐倉武家屋敷の概要

  河原家 但馬家 武居家 
公開目的

文化財の保存とともに

調度品により武家の生活

感を漂わせる展示

小学生の体験学習を始め

事業の行える施設として

活用できる

武家屋敷・城下町に

関する資料等を展示し

たミニ資料館

建築年代 18世紀後期 19世紀前期 19世紀中期以降
復元年度 平成2年度 平成4年度 平成9年度
居住者石高 300石 150石 90石
敷地面積 約335坪 約405坪 約143坪
建物面積 36坪 42坪 23坪
公開日 平成2年6月30日 平成4年5月1日 平成9年7月19日
 
旧但馬家の玄関口
旧但馬家の玄関口

 旧河原家と旧武居家は、もともと別の敷地にあった建物を解体調査した後、現在地に移築復元したもので、河原家の往時の広さは759坪あったとされる。一方、旧但馬家は、当初よりこの敷地に存在していた建物を解体調査後復元したものである。

 従って、但馬家の庭や樹木、裏庭の様子などは、往時の状況が継続されている事になり、外観的には最も当時の武家屋敷の風情を残している。

武家屋敷公開展示の概念

旧河原家の主屋
旧河原家の主屋

1.江戸時代の武士の生活を具体的に知る展示

建物と屋敷内の景観を復元するとともに、建物内部に家具、調度、古文書、絵図などを展示し、全体的に佐倉藩の武士の生活を理解できるようにする。

◆旧河原家は佐倉市に残る武家屋敷の中でも最も建築年代が古いと考えられるので、便所や流しなどの設備まで完全に復元され、内部には当時の生活用品等の展示を行って、江戸時代の武士の生活を視覚的に体験できるよう考えられている。新しい設備は照明設備、火災報知機等最小限になっている。

◆旧武居家内部には、歴史資料の展示をしてミニ資料館としている。

 

2.武士の生活追体験

江戸時代の武士の生活は、農民や町人の生活とは異なり、武芸、茶会、生花などの芸能や、和歌、俳句などの文芸、菊づくりや盆栽の園芸など、現在の市民生活にも伝えられている諸行事が行われていた。河原家と但馬家の内部を利用してこれらの行事が行えるようになっている。

◆旧但馬家は旧河原家より少し新しく、また規模が大きく部屋数も多く復元されている。更に屋敷内の樹木などの景観が良好に残っている事もあって、そのような活用に適している。

 このような点も考慮され、旧但馬家では間取りは江戸時代の状態に復元されているが、便所は水洗便所になり、台所に簡単なガス台や流し台などの炊事設備が整えられ、各部屋には照明を備え市民の各種の集まり等に利用できるようになっている。

 3.緑の豊かな居住環境の価値を認識するための活用

佐倉の旧武家屋敷の多くは崖地の樹林を背後にして配置され、現在でも非常に緑の多い絶好の居住環境を保持している。緑の豊かな環境の価値を広く市民に認識してもらうために、旧河原家と旧但馬家の内外の空間を利用して各種行事が計画され、特に子供のための環境教育、シニア層のための安らぎを求める伝統行事などに適している。

佐倉武家屋敷の景観と屋敷構え

旧河原家正面の土塁と生垣
旧河原家正面の土塁と生垣

1.武家屋敷の自然景観

佐倉の武家屋敷が展示されている周りは非常に緑が豊かな場所である。坂の両脇には鬱蒼としたシイ・カシ・ケヤキ等の大樹や竹藪が茂り、通りに沿ってイヌマキ・杉・ヒバ等の生け垣が続いている。生け垣の背後には、モッコク・サンゴジュ・ヒヨクバ等の常緑樹や、梅、柿、栗等の果樹が植えられている。佐倉の城下町はこのような樹木の繁茂する崖地によって、農村であった低地部と明確に区切られている。

 

又、城下町の街並みの中でも町屋地区は台地中央を通る成田街道に沿って建設され、背後は崖地に接しないのに対し、旧武家屋敷町のほとんどは背後が崖に接している。舌状台地上のいくつかの先端には寺院や神社があって、その中でも大聖院、妙隆寺、勝全寺等の境内の樹木は現在も豊かな繁りを保っている。

 

2.鏑木小路の様子と武家屋敷

現在武家屋敷が展示されている鏑木小路は歴史が古く、佐倉の武家屋敷の特徴的な景観を良好に保持している。 

(1)道路側に門を設けている。

(2)約1m位の土手を築く。

(3)土手の上には「イヌマキ」等の生け垣を造っている。

(4)敷地の間口ほぼ中央に門があって、門をはいるには石段を2~3段上がる。

 

3.門を入って見える屋敷構え 

武家屋敷の多くは門を入った正面に主屋の玄関があり、また棟を東西に向けている。隣との屋敷の境には「ケヤキ」や「シロガシ」等が植樹されている。屋敷内には、梅、柿、栗、ビワ等の果樹が多く植えられ、裏庭には自家用茶畑や菜園があって良好な居住環境が形成されている。裏庭の様子は、屋敷が道路の北側か南側かによってレイアウトが違うが、客座敷から直接見えないような工夫が施されている。

 

4.佐倉の城跡には、明治時代になって東京鎮台の営所・歩兵第二連隊が駐屯して、

  武家屋敷には連隊の将校たちが住むようになるが、当時の将校たちは元武士が多

  く、家の生活環境はあまり変わらず武家屋敷がそのまま使用されたようである。

 

5.この鏑木小路では、秋祭り(10月第二金曜、土曜、日曜)になると、通りの両側全 

  体に万燈を立て、夕闇の中に万燈から淡い光が放たれる頃、佐倉城下町の守護神

  である麻賀多神社の大神輿を迎える。

 

武家屋敷の特徴

1.武家屋敷全体の配置

佐倉の武家屋敷地区は、平たんな土地に格子状に町割りされたのではなく、尾余と呼ばれる舌状台地上に配置され、そこへは街道沿いにある町方の街並みから別れた道路を辿って到達するようになっている。

 これらの道路は袋小路状になっており、個々の武家屋敷が周囲を崖地の樹林で囲まれた静かな住宅地を形成している。

 

2.個々の屋敷のつくり方

中級武士の屋敷では、500坪前後の敷地の道路側に生け垣を作り、主屋の前後にかなり広い庭や菜園がある。又屋敷境や背後の崖地に、ケヤキ、シイ、カシ等の大きな樹林や竹藪が繁茂している。一般に城下町の武家屋敷というと、白壁の土塀を巡らした景観が思い浮かぶが、この違いも佐倉の特徴である。

 

3.個々の住宅様式

萱葺の平屋建てで規模はそれほど大きくはない。中級武士の家の主屋は広さ30坪前後で、玄関・客間・居間・台所等がまとまりよく配置され土間は小さい。その点佐倉の武家屋敷は都会的傾向が強いといえる。

 

4.屋敷構えの特徴

どの屋敷もかつては道路沿いに土塁を築き、その上に生け垣を植え外部からの目線を遮るように造られている。土塁は道路面を削り取った土を用いて築いたといわれ、こうした路面を敷地地盤より低くし、それによって土塁に用いる土の量の軽減が図られている。

5.生活の変化と間取り

下級武士の住宅は、部屋数の多い間取りや続き間の座敷を必要とせず、部屋は接客と居室用に大きく二分されていた。また、武士という俸給生活者の住宅のため、時が変わってもそこに軍人やサラリーマン等の俸給生活者が住む限り、間取りと生活が大きく食い違うという事はなく、接客用と居室用という二種類の部屋からなる構成は変わらず、間取りを大きく変更せずに住む事ができた。

 

6.武家屋敷の空き地利用

佐倉城内、城外の武家屋敷ともに、屋敷の広さに比して建坪は小さいといえる。その空き地の多くは畑地として利用したが、佐倉藩ではその屋敷に住む藩士自らが耕作するのではなく、城下町周辺の村々の農民が下肥取りを兼ねて耕作し、郡方役所へ畑年貢を納めるやり方だった。この年貢は後日に金納で一戸建ての者や長屋住まいの者に「畑年貢代銭」として渡された。

 

7.馬屋と馬方

佐倉の武家屋敷では、屋敷内に厩や馬方の小屋を設けている例はなく、馬は屋敷内で飼わずに専門の馬方が別の場所にいた。馬方が住んでいたと思える厩棟が並んでいた屋敷跡が別の地区で見つかっている。 

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